パチンコ、パチスロ回顧録
どーもどーも。
ごく普通のサラリーマンです。
平成元年に社会人になり、その時からパチンコ、パチスロにハマっています。
今年平成26年なのでパチスロ、パチンコ歴26年ということになります。
ごくごく簡単に平成元年から今までの変遷をなんとなく思い出してみたいと思います。
平成元年は羽根モノがパチンコ屋の主流でした。ビッグシューターやゼロタイガーといった名機がまだまだ市場には出回っていた時代です。
羽根モノ以外では一発台や権利モノもあった?(権利モノはもう少し後かも)
スロットマシンでは1.5号機の時代で、現在のようにクレジット機能が無く、三枚がけという毎ゲーム三枚入れてからのスタートでした。
当時は山佐のプラネットなどが主流だったでしょうか?(平成元年は私はまだパチンコしかしていなかった)
あ、権利モノで思い出した! 真ん中の役モノにロボコンのようなロボットがいて、ロボットの足元のABCのルートの内Aルートを通った瞬間に赤と緑二つの点滅ランプの緑だったかが点灯していると権利発生で4000発くらいだろうか。
当時は2.5円交換が普通だったので、それで一万円になるというのが殆ど。
一発台も大体の店が4000発終了でした。 平成三年〜五年くらいだったか、狂騒曲(ラプソディー)という一発台は大当たり時に二桁のミニセグで『77』が揃うと4000発×5回で2万発確定(五万円)。
さらに5回目終了時にミニセグで『77』が揃うともう2万発でしめて4万発10万円というとんでもない一発台もありました。
確か同じ頃『七福神』という権利モノ?デジパチがあり、7が揃うと7連チャン確定という機種もあったような。当たったことがないからあまり覚えていませんけど。
パチスロは2号機時代に突入し、フルーツ子役の連チャン(集中役と言ってたか)機が主流だったかと。
長くなったので続きは「回顧録2」へ続きます。