パチンコ、パチスロ回顧録3
前回はパチスロ2号機の話をしました。
そう言えば収支に関して全く触れていませんでしたね。
羽根モノから始まったワシのパチンコ、パチスロ人生。
多分最初の3年間でマイナス200万くらい使ってたか?ちゃんと収支つけてなかったのでうろ覚えですが感覚的にその位使ってたような記憶があります。
そして時代はCRパチンコ時代に突入。
当時のパチンコ雑誌は軒並み
「CRは警察幹部や官僚の天下りが推し進めているからやるな!」
という風潮が多く、私も出た当時はそんなだったらやんない!とアンチCR機を貫いていたんですが、ある時からそれが一変するのでした。
『オーム真理教地下鉄サリン事件』
あの日。CR機をなんだかんだ少しやり始めてた時でした。
羽根もので勝てず、現金機のデジパチも勝てず、スロットでも勝てず、、、、、
が続いていた。
CR機はやりたくなかったが、箱を積んでいるのはCR機ばかり。
店側もCR機を主流とした為、ユーザーもやらざるを得ない状況。
そして地下鉄サリン事件の当日。
CR機でも2~3度勝負して負けていたのが、その日初めて
爆発した。
当時はいわゆる2回権利の時代。
3や7の確率変動絵柄で当たると、そのあと2回大当たりが確定するんだけど、
その2回のうち1回でも確率変動絵柄で当たればそこからまた2回権利発生。
現金機のデジパチではフィーバーでも保留連ちゃんでせいぜい4回がやっと
だった時代で、CR機なら確率変動絵柄を引き続ければ何連ちゃんでも
続く(といっても20連くらいだけど)という夢のような世界。
当然ながらCR機にどっぷりつかってしまうのでした。
う~~~ん「回顧録4」に続いちゃう!